心霊都市伝説カシマレイコには女性の姿の他に兵士の姿をしたパターンが多数存在するが、
この兵士型カシマさんの発端は傷痍軍人以外には考えられない。
1970年代初頭、街の片隅で物乞いをする傷痍軍人(手足を損傷した軍人)が現れた。
彼らは韓国籍ということで恩給が支給されなかったからである。
その時の様子は大島渚監督の手がけた『忘れられた皇軍』という映画によって描かれている。
元々兵隊と鹿島が結び付けられる傾向にあったことを考えると、
手足のない傷痍軍人が当時大流行していた怪談に取り込まれるのも極めて自然な流れである。
戦時中、鹿島信仰の篤い茨城県では水戸歩兵第二連隊を
鹿島様と呼んでいたという記録が茨城県立歴史館常設展に残っている。
このような事例は水戸歩兵第二連隊以外には記録されていないが、
ただ記録に残っていないだけで他にもそう呼ばれていた部隊が数多くあったと推測される。
カシマというフレーズを兵士の一般代名詞だと想定するなら、
兵隊の鹿島様と怪談のカシマさんが共鳴するのも当然だと言えよう。
しかも当時は元日本兵の帰還という事件と重なっていた。
1972年2月2日、元日本兵・横井庄一がグアム島から帰国。
同年、フィリピン・ルバング島で元日本兵・小野田寛朗を発見。こちらは1974年に帰国した。
戦場に取り残された両名に共通するのは、終戦の事実を知らずに戦い続けていたことである。
「もはや戦後ではない」と言われて久しい昨今、
いまだ孤独な戦争をしていた元日本兵の存在に日本中が衝撃を受けた。
帰国した横井庄一は「恥ずかしながら帰ってまいりました」と述べたが、
この言葉は1972年の流行語になっている。
こうした一連の出来事により、この1972年は戦争の記憶とそれに伴う兵士の姿を劇的に思い起こさせる年となった。
戦争が過去の物となった日本において兵隊の怪談が流行するという不可思議な事態は、
傷痍軍人の存在とそれを後押しする形になった元日本兵の存在によって説明がつくのではないだろうか?
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