メディアは不明と報道しており先代・松山ひろしも決断には慎重な立場を取っていたが、
「カシマ」という名前の由来は軍神・武甕槌(タケミカヅチ)で間違いないと思われる。
軍神・武甕槌(タケミカヅチ)は紀元前660年に創建された茨城県の鹿島神宮に鎮座する。
古来より勝利を祈願する全国の兵士達は鹿島神宮に参拝してから出征していた。
神職によればその歴史は実に千年以上にのぼるという。
しかし祈願も空しく日本は敗戦。「妖怪は神の零落した姿」
という柳田国男(日本を代表する民俗学者)の言葉が想起される。
原型「きもちの悪いもの」に登場する正体不明の妖怪は“かしま”から来たと自ら明かす。
この“かしま”とは鹿島神宮であり、鹿島神宮から来たとすればそれは妖怪化した軍神ということになる。
カシマレイコは当初「カシマさま」と呼ばれていたが、
様付けで呼ばれていたのはまさに神を名指していたからではないか?
興味深い事に軍神・武甕槌(タケミカヅチ)は地元の人々にこう呼ばれていた――鹿島様と。
そして正体不明だった妖怪はいつしか手や足のない怨霊に取って代わった。
足を奪いに来る理由として「失った足を探している」という明確なロジックが成り立つからである。
「カシマさま」と呼ばれていたこの怨霊はやがて「カシマさん」と呼ばれるようになり、
最後には「カシマレイコ」という呼び名が全国的に定着した。
もはや「カシマ」から「鹿島」を連想する者はいない。
だがその根底に「鹿島」が存在する事は事実であり、そして必然でもあったのだ。
神社の中で特に格の高いものは神宮と呼ばれる。
鹿島神宮は数少ない神宮のひとつとしてその高名を全国に轟かせていた。
近世には毎年1月4日に神卜(神託)が行われ、
それを「鹿島の事触れ」と称して各地に伝え歩いていたという。
また、鹿島神宮の分社は全国各地に点在しており、
その地には以下のように鹿島という地名が当てられている。
・茨城県鹿嶋市【鹿島神宮】
・佐賀県鹿島市
・北海道夕張市鹿島区【鹿島炭鉱】
・北海道伊達市鹿島町【旧・鹿島神社】
・福島県相馬郡鹿島町
・島根県八束郡鹿島町
・宮城県亘理郡鹿島村【鹿島天足和気神社】
これに「神社などの神聖なものが移転する際には怪談の類が生まれやすい」という風潮を合わせて考慮すれば、
なるほど鹿島にちなむ怪談が生まれるのも至極当然の事だと思えてはこないだろうか?
北海道夕張市鹿島区【鹿島炭鉱】
1929年に三菱大夕張炭鉱が開鉱されて繁栄。
鹿島区から鹿島市に昇格するという話も出たが、石炭産業の斜陽化により、1973年の閉鉱に伴い衰退した。
奇しくもこの時期は札幌市でカシマレイコの怪談が流行した時期と重なる。
北海道伊達市鹿島町【旧・鹿島神社】
独眼竜伊達政宗の一族が開拓した伊達市には宮城県から鹿島神社が分社され鹿島町と命名された。
鹿島神社は開拓民の守り神として篤く信仰されていたが、
時は移り、交通の妨げとなったことから市内の末広町に移転された。
奇遇なことに、この移転された年が「カシマさん元年」である1972年だった。
鹿島神社は移転に伴って伊達神社と改名されたが、『伊達市史』によると、
地元の住民は今でも親しみを込めて「鹿島さん」と呼んでいるという。
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